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Channel: スポーツナビ+ タグ:後藤光尊
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【Bs】勇者と猛牛と後藤光尊

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雲間からのぞく太陽はまだ暗く、頬を切る風は冷たい。春の気配を感じることは難しいが、一足先に球春がやってくる。元主将がここを去って3年が過ぎた。クリムゾンレッドのユニフォームを身にまとった彼は、青葉茂る彼の地でも、バットを高々と構え、鋭いスイングで、低めのくそボールをヒットにしていた。オリックスバファローズ初代キャプテン-。低い弾道のまま、一直線でライトスタンドへ。突き刺さるという形容がこれほどふさわしいものはなかった。一番坂口、二番大引、三番後藤。オリックスの一時代を確かに築いた。生涯オリックス宣言-。昨秋、トライアウトでみせた好守。彼の類いまれなる身体能力を知らぬ多くの観衆が驚嘆し、惜しみない拍手を送っていた。最後は、バファローズのユニフォームを…。ファンの願いはかなわず、寡黙なファンタジスタは静かにグラウンドを去った。日本球界、最後の青波戦士。後藤光尊。かつて、オリックスブルーウェーブというチームがあった。その歴史は、栄光と迷走の歴史である。名将・仰木が神戸の夜空に舞った4年後には、とどまることのない凋落が始まった。勇者・ブレーブスの伝統も崩壊。いや、自ら壊したというべきか。 2001年ドラフト。 15人もの選手を大量指名したオリックスブルーウェーブ。そのなかにはプロのレベルに達しているとは到底呼べない者も多くおり、結果としてチームの弱体化を招き、ここからチームは長い低迷期に入る。そのドラフトで10位で指名されたのが、後藤光尊である。すなわち、後藤は、暗黒期のオリックスとともに歩んできた。引退会見で、後藤はつぶやいた。「優勝とか日本一に縁がなく、一度はそういう経験をしたかった」。プロ野球選手としての切実な想いであろう。一昨年は平野と谷が、昨年は後藤が、小松が、長い野球人生に別れを告げた。平野・谷は別のユニフォームで胴上げを経験したが、後藤と、オリックス一筋の小松はその歓喜を一度も知らぬまま去っていった。最後の青波戦士、後藤の悔しさは、オリックスを愛し続けるファンの想いでもある。落伍者のように、うつむく君らをもうみたくない。いつの日かグラウンドを去るそのとき、君たちには、優勝や日本一の素晴らしさを語ってほしい。腐れ切った敗北の連鎖を断ち、長き屈辱の歴史に、今年こそ終止符を打つ。澱んだ空気を変えようと生え抜きのリーダー・T-岡田がチームを引っ張り、若きアーチスト・吉田正尚が、腕を撫す。今年も球春がやってきた。 2017年、オリックスの逆襲が始まる。

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